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田舎特集3 第4回 小辺路 - 三浦峠越え

石畳の道


語り部さんの知合いの民宿に泊めていただいて、心温まるおもてなしと、語り部さんの膏薬のお陰で、前日の膝の痛みも少しかるくなつたような気がします。 「山道も下りよりは、上りの方が楽ですからね」とそんな言葉に励まされていよいよ三浦峠を目指して出発である。


民宿の反対側の細い道を川辺まで下ると吊り橋があり「三浦峠、三時間」と書いた立看板があり、しばらく普通の山道を登ると民家の庭にはいつたようだが、その右手の田圃の石垣に沿ってゆっくりと斜めの道を登ると、畑があり、竹藪を越えると田圃の石垣に沿ったやや急な石畳が続くその先にはまた、物置に並んで落ち着いた民家のたたずまいがある。

振り返ると、もうだいぶ登ったようで、小さな「棚田」があり民家の石垣と物置と竹藪の向こうにはのどかな母屋がある。 いま来たばかりの石畳の急坂のみちがある。 三浦峠の麓にはのどかな「十津川村」の風景があり、昔ながらの生活にあふれていた。 そういえば、「小辺路」の石畳の道は、この三浦峠への入り口と、「果無峠」へ入る「果無部落」の入り口と部落の中だけなのだろうか。

棚田と石畳をすぎると、急な山の中腹を横切るように登る植林の中の山道に入る。 麓の民家を風と雪からまもる「防風林」であり「十津川村」「龍神村」へ通じる「生活道路」であったのであろう。 山の斜面の上段には、山道にころがつて落ちてきた石が3段4段と積み上げられてあり、語り部さんの話では、山道を歩く人のために転がりおちた石を拾って山の斜面に積み上げてゆくのだそうです。

そう言えば、三浦の石畳も、果無部落の石畳も「小辺路」でも少ない道でありその石畳を敷くための人々の労力と経費も大変なことであり、前日の「伯母子岳」まで野迫川村の山道とは、その雰囲気が異なり、「小辺路」らしい「十津川村」らしい、ご先祖の思いやりと、村人たちの生活の知恵がつまった風景が素晴らしく、すがすがしい想いがしたものである。

山道の途中、忘れられないのは「三十丁の水」であった。 道から少し右手に下がると、木製の水槽があり「かけひ」があり、その水槽に湧き水が流れ込んでいる。コツプがおいてあるので、早速頂いた。 「甘露」「甘露」よく冷えて本当に甘い感じだ。そして急に元気が出たような感じだ。 飲み終わって、2人で次の人のために、水槽をきれいに洗って、湧き水の方に手を合わせ、お礼を申しあげる。

「あの木のない緑色の斜面を登った右手のところが三浦峠ですよ」あと20分くらいですかね。 振り返ると昨日、越えた「伯母子岳」の山並みと、「谷瀬の吊り橋」から「十津川温泉」へ下る山並みであろうか。 同じくらいの高さだ。


「三浦峠」の台地は広く、林道とも交差して休憩所のようなものもあるが、先程見たような、眺望は全くないので、がっかりした。 あとは下るばかりである。 30分位下がると「古矢倉跡」、道も足も少し楽になったころに、「出店跡」が あり、廻りの雰囲気から見ると、相当大きな屋敷跡であり、まわりは田圃であり墓跡もあり、大勢の旅人がこの街道を往来し、泊まったり、休んだりしていかれたことと思われます。 この「出店跡」は明治43年に廃屋になりましたが、まわりにあつた田圃は下の部落の人たちが、昭和20年代まで耕作をされていたらしい。


「出店跡」の下り3キロほどは、前日と同じように、出店付近で尾根の西側につくられた「新高野道」がメインルートで、かっての「小辺路」は旧道となっていて、すこし危険な崖があったり、迷いそうなところもあり、「矢倉観音堂」まで「五輪の塔」があり墓石があり昔の人々のいろいろな想いを、慈愛をもって受け止めておられるかのようであつた。 「西中」の国道へ出る少し手前にに2軒の廃屋があり庭先を通りながら回って急な道を下がると広い林道に出る。 かって「小辺路」は「矢倉」を通っていたのが、県道、国道、林道によつて寸断されており、わたくしたちも西中の「大谷橋」バス停まででると、国道425号が「十津川村」と「龍~村」とをむすんでいる。 そのバス停で、十津川温泉「昴の郷」からの迎えの車を待ち、「昴の郷」でお世話になった語り部さんといっしょに、源泉かけながしの湯にはいり、旅の疲れを癒しながらの語らいは暫く時間を忘れるほどでした。 語り部さん、いろいろお世話になりました。



2008年9月18日 掲載
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